[chapter8]

「うちのクラスはさ―」

前方を歩いている長谷川は勝手に話しかけてきた。

「結構個性的なつわものが多いけど、協調性はいい奴ばっかなんだ。まぁそれでも一名を除くかな。」

「はあ。」

れんは話し続ける長谷川の背中を眺めながら、なんとなく返事をした。そんなれんの返事も待たない長谷川の話は止まらなかった。

「でもあいつもあの二人がいれば何とか動くしな。協調性に富んでるっちゃあ富んでるんだ。」

あいつ、とかあの二人、とか言われたって分からない。とれんは思った。
こちらを見向きもせずに先頭をきって歩いている長谷川は、れんの困惑した表情に気付かなかった。自分の言ってる事がれんに通じていない事に。

「扱いにくいと思うのがチビ助とお供辺りだろうな。あそこら辺は本当苦労するだろうから、むしろ気にしなくてもいいぞ。」

やっとれんと対話するような語尾を出すも時既に遅く、れんは長谷川の話にはもうほとんど耳を傾けていなかった。
今自分が歩いている周りの教室や風景に目を止めていた。教室内には賑わうくらいたくさんの笑顔があった。れんは不安を募らせつつ、少し羨ましくなった。
タイル貼りの廊下は磨かれていた。歩く度に、新鮮な影を映している。
窓から差し込む光はれんたちを暖かく包み込んでくれた。真っ青な空からは不安など読み取れないくらいだった。そよ風が心地良くれんの送れ髪をなびかせる。

「…もうすぐだ。」

長谷川の言葉がタイミングよく耳に入る。れんは気を引き締めた。
第一印象というのは大事だから、第一印象だけで変わる、第一印象で私の運命が決まる、と無意識に大袈裟に考えていた。
不意に長谷川が止まる。鼓動が高鳴る中、見上げるとそこには"1-D"の表札が浮かんでいた。ついにこの時が来てしまった、とれんは生唾を飲んだ。

「あと5分か。ちょっと忙しなくなるけどごめんな。」

ガチゴチに固まったれんはもう返事すら出来る心持ちではなかった。早く今日が終わってしまえばいいのに、と何度も願った。
長谷川がドアを開く。

「ちょっといいかー?」

声を張って教室内にいた生徒にそう呼び掛けると、生徒は静まり返った。が、それも一瞬の出来事で、今までの三分の一ほどの声のボリュームで話し声は止まなかった。

「言ってた転校生来たから、よろしくな。」

長谷川はあっさりと言うと、廊下でガチゴチに固まっていたれんを手招きで呼んだ。固まりすぎて意識が軽く飛びかけていたれんは咄嗟に意識を呼び戻し、長谷川の手招く方へとロボットのような歩き方で歩み寄った。
教室内にれんが踏み入ると、生徒たちの話し声が止む。その場でポカーンとした顔だけこちらに向けながらの生徒もいた。

「高宮、名前。」

「あ、あっ…たっ、はい。」

れんはいたたまれなくなっていた。極度の緊張で変な歩き方だは、言葉は噛むは、吃るは…。穴があったら入りたい、と思いながら半ば自棄糞で口を開いた。

「高宮れんですっ。」

「授業始まっちゃったじゃないのよ!あんたがモタモタしてるからッ。」

後方のドアが勢い良く開く。
れんの聞き覚えのある声がした。

「藤田、新堂、遅いぞ。何してたんだ?」

長谷川が呆れた表情を浮かべている。

「先生!こいつがあたしを遅刻させた張本人……あーっ!」

干紗の首根っこを未だ掴んだまま、まりねはれんを指差した。
れんはまりねの威勢のいい大声にビクッとしてまりねを見た。この珍しい髪型はつい最近見た事があった。
まりねは干紗の首根っこを掴んでいた手を離すと、机の間をぬってれんの目の前まで来て言った。

「あたし今朝この子に会ったわ。坂道の手前で歩いてたの、そうよね?」

「遅刻組だな、高宮。」

長谷川が微笑した。

「そ、そう…」

れんは目を丸くしてまりねの顔を見て言った。まりねは自分の洞察力と記憶力が巧みな事を自画自賛して、制服のポケットにちゃっかりと入っていたミックスジュースの缶を開けて飲み始めた。

「じゃあ今日の授業は誰かに教科書見せてもらいながら何とかやってくれ。俺、次授業あるから。藤田、授業中に飲むなよ?」

長谷川はれんの肩を一度叩いてそう言うと、1年D組を後にした。

「長谷川先生ったら甘いわね。あたしがそんなちびちび飲むわけないじゃない。」

さっき飲んでいたばかりのミックスジュースの缶を潰しながらまりねは言った。
へこんだ缶はゴミ箱に捨てられた。
れんはどうすればいいのか分からず、ボーッと立っている事しか出来なかった。
そんなれんを見て、まりねが大声で言った。

「れんー、優等生のあたしが教科書見せてあげるわ。」

後ろから二番目の席にどっかりと座ると、まりねは手招きをしてみせる。近くにいた伊紗が呆れ顔で、勉強しない気でしょ、と呟いた。
れんはとりあえず手招きされた方へと歩き始めた。足を踏み出すごとにウルフヘアが揺れる。
まりねの席まで来ると、ひとつ前の席に座っていた女子生徒が口を開いた。

「まりねじゃ心配だから、ここはあたしが引き受けるわ。」

五分分けにして腰まで伸ばした淡い茶色のロングヘアをさらさらと揺らし、福巳梨瀬は言った。
まりねの机に片肘をつき前屈みになった格好に、ブラウスの間から見える胸の谷間が大人の雰囲気を漂わせた。
交差して組む脚にも、艶やかな色気を感じた。れんは恥ずかしながらも羨ましく思った。同じ高校生にもこんなに成長の差があるんだ、と少し虚しくなった。

「まあ、座りなさいな。」

梨瀬は向かい側の椅子を引っ張って、れんに言った。
れんはオドオドした気持ちが抜けずに、言われるがままに座った。これからどうなるんだろう…と、不安が絶えず続いていた。
机に突っ伏している干紗を横目に館崎挂は、片膝を抱え、何気なくれんを見ていた。



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