[chapter10]
「七瀬、新堂。」
太陽が心地良く照らす昼下がりの教室に響いた声は、生徒の顔を微弱に強張らせた。
紗奈枝と向かい合って食べた後の弁当箱を包んでいた優衣花は、教室に顔を出す長谷川の顔を見てその表情を曇らせた。
「新堂はどうした。」
語尾は上がる事なく地を這って伝わる。
「私ですか?」
廊下にいた伊紗が真面目な面持ちで長谷川に声を掛けた。
長谷川はゆっくりと瞬きをして「いや…」と言った。
そんな長谷川の様子を察してか、伊紗は何も言わずに今来た道を引き返して行った。
長谷川が再び教室内を見ると、優衣花がちょうど自分の目の前に着いた。
長谷川は俯いて自分の顔を見ようとしない優衣花を確認してから来た道を歩き出した。お互いに何も言葉にせず、連なって歩いていく。
辿り着いた先は教室だった。生徒の賑わいの欠片もない、そこにあるだけの空間と化した教室だった。
そこにあるだけの空間には、椅子が四脚用意されていた。
長谷川に続いて俯いたままの優衣花が教室に入ろうとすると、椅子を擦る音がした。
優衣花は、ふと音のした方を見た。そこには見覚えのある顔が――
――茶髪の隙間からピアスを覗かせている男子生徒が、優衣花を見て口の端をあげた。
優衣花は一瞬挫いたようによろめいたが、咄嗟に柱に手を突き、何とかその身を支えた。
すぐに顔を背け、相手の顔が視界に入らないようにした。頭にはまだ今朝の光景が焼き付いている。恐怖心が煽られる。
ここで何をされるんだろう。酷く叱られるのだろうか、仕返しにと殴られるのだろうか、どちらにせよ、問題のある生徒として処分は免れない。ここで真実を言って逃れようとしても、きっと無駄なんだ。
優衣花は怯え震える胸を宥めながら一歩一歩、歩みを進めた。用意されていた椅子をためらいがちに引いて、浅く腰掛けた。それは男子生徒から一番離れた場所に設置されていた椅子だった。
男子生徒は口を真一文字に結び直すと、横目で優衣花を盗み見ていた。
「横木。」
男子生徒の視線の先を追って、長谷川は男子生徒の名を呼んだ。
横木と呼ばれた男子生徒はピアスを揺らし、目を細めて長谷川の胸倉を見た。
優衣花は未だに俯いている。その肩は張り、太股の上で重ねられた手には緊張感が表れているのがわかった。
横木と優衣花を交互に見、長谷川は溜め息混じりに口を開いた。
「…揃わないが始めさせてもらうぞ。」
「俺は被害者だ。」
長谷川が言い終わる前に横木が言った。
優衣花が反射的に顔を少しだけ上げた。その表情は戸惑い気味に驚いている。長谷川もまた反射的に横木を見つめた。
「横木、それはもう散々聞いただろう。その傷が物語ってるよ。」
先生、違う――
優衣花は声をあげようとした。が、寸前のところで喉の奥に引っ込めた。
この言葉を言ったところで何を言われるか、何をされるのか予想がつかず、怖くて何も言わずにまた俯いた。
長谷川の反応に、横木は顔の傷を擦って見せた。擦る様子に痛そうな表情もしない、見る限りはただのかすり傷に見える。
優衣花は気付かれないようにまた俯いて、唇を噛み締めた。
この状況じゃどう考えてもあっちが有利。わたしなんかがしゃしゃり出ても誰も味方についてはくれない。と、彼女にはそう消極的に考えるしか出来なかった――心の余裕がなかった。
「横木の言い分だと…」
「……」
長谷川が再び口を開く。が、追い詰められた優衣花には長谷川の言葉を聞き入れる術はなかった。
「七瀬の落とし物を届けに行った際に屋上に連れられ、急に新堂に殴られた。そうだったな?」
長谷川は言い終えると横木を見た。横木はしっかりと長谷川を見据えて、「あぁ。」と頷いた。
優衣花がこっそりと横木を確認するとそこには俯き様に目を細め、口の端をつり上げた横木がいた。
その時長谷川の視線は別にあった。
「……ようやく来たか。」
「伊紗から、呼んでる、と聞いたんで。」
前項へ 次項へ