[chapter16]

宿題の出された科目の教科書だけを学生鞄に詰め、八梛は隣席を盗み見た。
両肘をつき、その両手に顔を埋める優衣花が目に入る。
いつもなら一緒に帰っているはずの紗奈枝は、一言優衣花に慰めの言葉をかけ、之也と共に部活に出かけていた。
こういう場面でよく何気なく気に掛けてくれる梨瀬も、つい最近出来たばかりだという6つ上の歯科医の息子とデートがあるらしく、弾みながら一番乗りで教室を後にしていた。
教室に残っているのは、長谷川に挂たちと転校生、そして珍しく干紗を待っている様子のまりねと伊紗だけだ。
八梛には、今の状態の優衣花を気に出来るような人材をこの中に確認する事が出来なかった。
詰め終わった鞄を一旦机上に置き、手を伸ばした。

「七瀬、大丈夫?」

優衣花の背中は思うより小さく、自分の手が大きいのではないかと錯覚さえ抱きそうな程だった。
背中が動き、両手が退かされると、優衣花の顔がこちらから確認出来た。

「や…村崎君っ。」

「?」

優衣花は八梛を見るや否やすぐに顔を逸らし、苦笑いを浮かべて鞄をとって言った。

「ご、ごめんね、心配かけさせちゃってっ。わたしも帰らなきゃ…」

「待てよ。」

「えっ…?」

慌てて席を離れる優衣花の手をとる。

「あ…、ごめん…。」

八梛はそれなりの力で手をとっている事に気付き、戸惑いがちに手を放した。

「ううん…」

今朝にも似た手の取られ方に、優衣花は少し俯いた。
しかし掴まれた感触に違いがあるのを感じ、微かに頬が染まっていった。
そんな優衣花の表情を見ぬまま、八梛が口を開いた。

「…今日、宿題出てんだけど。持って帰らなくていいのか?」

「あっ、そうなの?ありがとう…」

次第に速くなる鼓動を隠すように早口に言うと、優衣花は鞄を机上に置き、机の中に手を入れた。

「現国と政経な。」

隣に立つ大きな存在に、優衣花は温かくなった。

「…うん。」

思わず笑みが零れる。
二冊の教科書を鞄にしまい終わり、チャックを締めた。
今の時間だけで優衣花の心はいっぱいになっていた。この空気を、この温かさを、家に帰って思い出してまた味わおう。そんな事を考えながら、鞄を片肘に掛けた時。

「帰るか。」

「えっ?」

隣で待ちくたびれたように八梛が言った。

「方向、一緒だろ?」

「うんっ!」

いつの間にか彼女からは、哀しみの欠片すらも消えていた。



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