[chapter1]

「行ってきます…」

新しい住居と新しい空気。新しい環境に俄然慣れない道程をいつもより覇気のない声で、女子生徒は歩き始めた。
目的地への道筋は知っていた。昨日母親から何度も何度も説明されたからだ。
あの道を曲がって、この道を進んで、その坂をのぼって。
頭では分かりきっていたがやっぱり足が進まない。足どころか気が進まない。
茶色の制服を、風が初々しくぱたぱたと仰いだ。段がはっきりとしているスカートが歩く度に弾んで揺れる。
少し歩くと、公園があった。余裕を持って出てきたので、約束の時間まではまだ一時間もある。
少し気持ちを落ち着かせようと、女子生徒は公園に立ち寄った。
公園には母親と子どもの親子がいくつかいた。キャッキャと無邪気にはしゃぎながら駆け回る子どもの傍らで、見事に様々な服装の母親が目に付いた。
新調したワンピースを着た若い母親や、装飾品が明らかにブランドもののような母親、露出の多い服にハイヒールの母親。どの母親も、公園で子どもと遊ぶ気は無さそうに見えた。
女子生徒は空いていたベンチに腰掛け、鞄を膝の上に抱え、慌ただしく駆け回る子どもの様子を眺めていた。
しばらくして、公園の入り口からまた一組の親子がやってきた。
子どもは他児と対して変わりもなかったが、母親の方は他親とは一変していた。
何の変哲もないパーカーに、そこらへんで売っているようなデニムとスニーカー姿で現れたのだ。
母親は、公園には不似合いな格好をした親たちに会釈をし、他児の遊ぶ場所へ送りやると、謙虚な面持ちで母親たちと立ち話を始めた。
子どもの方は何のためらいもなく他児のもとへ走っていき、こちらにまで聞こえる元気な声で、入れてと言った。
他児は揃ってあっさりと受け入れ、早速鬼ごっこを始めた。
あの親子にはここの公園は初めてだったのだろうか。この土地が、この空気が初めてだったのだろうか。新しい住居に新しい空気。新しい環境に馴染もうとしているのだろうか。
こんな風に上手に馴染む事が出来ればと長い溜め息をつく。
あの親子も馴染もうと努力をしているんだ。私も努力はするだけしてみよう。一人だったっていい。すぐに馴染めるわけがないんだから、しょうがない。大丈夫。平常心、平常心。
そう自分に言い聞かせると、女子生徒はその場を後にして再び歩き出した。
あの道を曲がって、この道を進んで…

「ちょっと、何で起こさなかったのよ!」

「知らないよ!目覚ましが止まってたんだって。」

女子生徒が後ろを振り返ると、誰かが突然脇道から猛スピードで飛び出して横をすり抜けて行った。
巻いた長い髪を二つ結びにした女子生徒と、癖のないショートヘアの女子生徒だった。橙のチェック柄が急かされて動いていた。
二人の着ていた服装に見覚えがあり、今一度スカートをつまんで見た。この新調された制服が、彼女たちのスカートと一緒の柄をしている事に気付いた。
二人の女子生徒は素早く駆け去っていき、もう姿が見えなくなっていた。
女子生徒は、彼女たちの会話を思い出す。

『何で起こさなかったのよ』

『目覚ましが止まってたんだって』

この言葉に加え、あんなに急いでいたという事は。
重大な事に気付いたと慌てて制服のポケットから携帯電話を取り出し、サイドボタンを押す。
"08:39"
目を丸くし、急いで携帯電話をポケットにしまって走り出す。
約束の時間まで、一分を切った。
疼く肺に鞭を叩きながらのぼり坂を駈け登り、少し進んで息を整える。
大きな校門と、行書体で彫られた看板が目に入った。
"私立清門高等学校"
開きっ放しだった口を閉め、生唾を飲む。
女子生徒は校門を通り抜け、真っ直ぐ歩いた。馴染める馴染めないの疑問をすっかり忘れ、着いたという気持ちだけがあった。
その時既に、約束の時間は過ぎていた。



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